当科について|文京区千駄木の産婦人科 日本医科大学付属病院 女性診療科・産科

当科について

ごあいさつ

女性診療科・産科 部長
竹下 俊行

多くの医学領域が「個の保存」に主眼をおく中で、産婦人科学は「種の保存」を中心として展開する学問であるという大きな特徴を持っています。すなわち、産婦人科医療は女性が生涯を通して健康で生き甲斐に満ちた生活が送れるよう、あらゆる面からサポートすると同時に、次世代を担うかけがえのない生命を育み、明るい未来を開く使命を負っています。
日本医科大学産婦人科学教室は、このようなきわめて大切な医療を担う人材を育成し、医学、特に産婦人科学の発展に寄与すべく最先端の研究を極め、多くの女性を病から解放し、次世代を担う新しい生命が一人でも多く誕生することを願って日夜努力を重ねています。

日本医科大学は創立以来135年以上の歴史を重ねる、わが国最古の私立医科大学ですが、産婦人科学教室としての原型は大正11年(1922年)に整っていますので、今年は90周年を迎えることになります。長い間に築かれた伝統は今も連綿と受け継がれ、多くの名医、エキスパートを輩出しています。産婦人科学教室はこうした伝統に溺れることなく、常に前を向き、謙虚な姿勢で新しきを求めて参りました。

臨床医学教室は、何といっても診療面でわが国の医療をリードする存在でなければなりません。当教室では古くから内視鏡手術に力を入れており、わが国のみならず世界で通用する新しい術式の開発に努めています。日本産科婦人科学会が認定する技術認定医は10名を数え、わが国トップクラスです。
また、不育症(習慣流産)の診断・治療、およびその既往がある妊婦の周産期管理で、こちらもわが国トップクラスの症例数を誇っています。本学には付属病院が4つあり、各々が独立し特色を出しながら高度な医療を担っていますが、一方で4病院を集結して多くの症例を集積して臨床データを出しています。周産期医療や癌治療における症例数は相当数に上ります。

先達から連綿と受け継がれてきた産婦人科学教室をさらに発展させるには、次世代を担う若手の確保が必要不可欠です。
当科では、学生、研修医をはじめとする若手の教育指導に全力を挙げて取り組んでいます。われわれの人材育成方針の基本は、「患者さん中心の医療を提供する医師、医学者の育成」です。これはきわめてありきたりの表現ではありますが、伝統に支えられて先達から受け継がれた「医の心」です。そして、その育成には徹底した親身の指導をもってあたります。各スタッフは後進の指導にあたり、わが子を教えるように指導しています。教室には産婦人科の各領域、すなわち周産期、腫瘍、生殖医療、女性医学(ヘルスケア)のすべての分野におけるエキスパートがそろっていますので、質の高いトレーニング環境が整っています。
症例は豊富で、産婦人科専門医取得に必要な症例数はあっという間に達成できます。
また、さらに上級のサブスペシャリティを極めるにも、4つの付属病院や関連病院での高度専門研修を受けることのできる環境が整っています。

教室のモットーは「和」であり、「リベラル」です。
実習で回ってくるBSLの学生やスーパーローテートの研修医は、「医局の雰囲気がよい」といってくれます。もちろん、雰囲気だけではよい医療は行えません。患者さんに対しては常に真剣に立ち向かい、最高の医療を提供するよう努力を怠りません。そのため、カンファレンスは厳しく、診療方針について徹底した議論を行いますが、若い医師たちも自由闊達な意見を提示します。

仕事が終われば各人が自由な時間を謳歌できるような、on-offがはっきりした生活が送れることは大切なことだと思っています。そのためには、チーム医療制度・代診制の徹底、診療システムの改善、(セミ)オープンシステムの活用、当直空け午後休など、皆で知恵を絞って医局員の労働環境の改善に努めています。
一人でも多くの若者が仲間に加わってくれることを、こころよりお待ちしています。

沿革

開校当時の日本医学校(1904年)

日本医科大学は、明治9年(1876年)4月に創立した済生学舎がその母体となっています。済生学舎は医術開業試験のための学校であったため、当時の記録に講義科目に産科、婦人科などが名を連ねていますが、講師陣は定まっていませんでした。
1904年(明治37年)に日本医学校となり、講師陣には「産科学講義」の著者で知られる中島襄吉教授らが参入しています。
記録によると高楠栄教授、山本恵三教授をはじめとして大正3年から数名の教授陣が赴任していますが、いずれも数年で入れ替わり、教室としての形態を名実ともに整えられたのが石川正臣教授でした。したがって、教室では1922年をもって産婦人科学講座開講の年と位置づけており、2012年には開講90周年を迎えることとなりました。
現在では現役教室員80名、全国各地で実地臨床に携わっている産婦人科同窓生500名を数える大教室に発展しましたが、ここに至るまでの道のりは決して平坦ではありませんでした。

石川 正臣教授

石川正臣教授は、大正13年7月に開設された付属飯田町医院の産婦人科部長に就任し、少しのブランクはあったものの、昭和37年8月の本学学長就任までの長きにわたり正に生涯を捧げて産婦人科学教室を創生、発展させ、わが国有数の大教室に仕立て上げました。
一方、昭和24年に台北帝国大学教授として活躍されていた真柄正直先生が千駄木付属病院の教授として着任され、ここに付属病院を本拠地とする第一産婦人科学教室が誕生しました。
従来から存在した飯田橋の石川教室は第二講座となり、石川・真柄両巨頭の率いる日本医大産婦人科学教室はわが国の産婦人科学会の歴史においても、ひときわ光を放つ存在でした。

真柄 正直教授

第一講座は大川公康教授、荒木勤教授へと引き継がれ、第二講座は石川正臣教授の後任に鈴村正勝教授、室岡一教授へと引き継がれていきましたが、荒木教授の時代に教室は大きな変革期を迎えることとなりました。第一講座、第二講座の呼称を廃し、日本医科大学産婦人科学教室として講座を一本化したのでした。2講座時代にはお互いに切磋琢磨し、鎬を削りあいながら発展してきたという利点もありましたが、欠点もまた多かったのです。一本化することにより教室員数はわが国でも有数のものとなり、症例数も増加し、診療・研究・教育すべての面で相乗効果が表れていきました。荒木教授が第54回日本産科婦人科学会総会を主催する原動力ともなりました。なお、日本産科婦人科学会においては石川正臣教授が第11代の会長を、真柄正直教授が第16代会長を務めています。
このように、我が教室は開講以来、常に学会をリードし学会の発展に大きく貢献して来ました。

  • 大川 公康教授

  • 荒木 勤教授

  • 鈴村 正勝教授

  • 室岡 一教授

平成15年4月から、竹下俊行が教室の主任を引き継ぎ現在に至っています。荒木教授の講座一本化の意志を受け継ぎ、付属4病院は統一された診療方針、教育指針のもと「愛と研究心」のある優れた臨床医、医学研究者の育成に努めています。

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